小沢駅で特急ニセコ
小沢からも羊蹄山が綺麗に見えた。この日の北4線は高条件だっただろう。
夕陽に照らされながら山の中へ進む鈍行を見送る。
線路上にはこんな抜け殻がそれなりの数落ちていた。
虫の巣窟になっている跨線橋。内張は最近のものか。
文字が独特。フォントとかそういう概念ではなさそう。
小沢駅は共和町にある。共和町の市街地はここから岩内方面にいったところ。かつてはここから岩内線が分岐して行っていた。下の白い部分には「前田 岩内方面1⃣」とかそういう案内が書いてあったのか。
駅舎は秘境駅にありがちなやつ。前駅舎は大沼公園駅に酷似した大きい駅舎があった。トイレの臭いが強烈。
本題の特急ニセコ 全部入りきらず…
対向列車待ち RAWで撮っていたのでフィルム風で現像した。
検査明けの年だったので綺麗なエンジン。新潟鐵工製。刻印が見切れてしまったorz
定員47だけなんですね。
夕陽が良い感じに沈んで空も良い色になってきたころ対向がやってきた。
塞がれていた方の階段の窓は木枠のままだった。時代を感じる。
駅猫がいた。猫には懐かれないので近くにはいかなかったが…
寝台特急時代の末
2015/3/7
札幌運転所から札幌へ向かう。通過までにホームに間に合わなかった。今思うとDD51と客車を合わせた写真がこれくらいしかないことに気づく。
デジカメの小さな液晶で見る分にはよかったが、パソコンで改めてみると酷い写りのものばかり・・・
[函][重]の区名、運用札は他にないカッコよさがある。1093はあまり撮ることのなかった釜だ。
見送った後、北斗のグリーン車だけ撮っていた。2552は後に改番され7552になっているよう。
そのあとはカシオペアが来た。やはりこの時期は機関車ばかりを撮ろうとしている。全体を撮っておけば・・・ と鉄道オタクが言いがちな後悔文句を言ってしまう。
編成の記録は諸先輩方も多くしているのでそれは良しとしましょう。ホームには見学の子連れや乗車するのであろう人達で賑わった。まぁ、この時は私も子供なのですが。
DD51の1083 今見るとサビが目立つなと思う。
最期に北斗星。同じ日に寝台三銃士をコンプリート出来た。それが普通だった。少しブレているが、この写真が当時の状況を押さえていて好きな写真。
やはり釜ばかり撮っている。
1100が前側に入っている写真をよく見るのは気のせいだろうか。ほかに1140と1141をよく見る気がする。廃止直前の星釜の稼働率に偏りがあったのだろうか?
平べったい顔の501か502だと思われる。
100番台のような小窓の200番台も北斗星に入った。個人的には500番台のイメージが強く小窓車が居たことを最近知った。
オホーツクを撮ってこの日は帰った。
終焉 ノースレインボーエクスプレス
特急ニセコ号として運行されたノースレインボーエクスプレスを見送りに、長万部へ。
入線直後、長万部駅は賑やかでH100形、キハ261、キハ40と並ぶ。遠くからでも長万部町のゆるキャラ、まんべくんは赤くて目立つ。北斗のお客さんにもファンサービス(笑)
キハ40が入れ替え中 持て余すほど広い構内を端から端へと… ところで、気になったのは「ワンマン」の幕。緑字の縁取りフォントじゃないですか!函館車にしか仕様だったと記憶。まだあったんですね。(てっきりゼブラと一緒に無くなったかと)
キハ22がキハ40に置き換えられたように、H100形に置き換えられる過渡期。
中ノ沢駅側に車庫が出来たんですね。給油設備も備えている様。